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## 第一場

(\ruby{山科}{やましな}街道追分近くの裏道。
冬も近くで畑には何も無い。
ところどころ大根の葉の青みが色彩を点じている。
\ruby{畦}{あぜ}の雑木も葉が落ち尽し梢は竹藪と共に風に鳴っている。
\ruby{下手}{しもて}の背景は松並木と稲村の\ruby{点綴}{てんてい}でふち取られた山科街道。
\ruby{上手}{かみて}には新らしく掘られた空堀、築きがけの土塀、それを越して\ruby{檜皮|葺}{ひわだ|ぶ}きの御影堂の棟が見える。
新築の生々しい木肌は周りの景色から浮き出ている感じ。
柱五十余木を費し、乱国にしては相当な構えの建築物の棟である。
花道から舞台を通って御影堂の塀横に行きつく道は造営の材料を運ぶ為めに新しく造ったもので、里道よりはやや広く、路面に人々の踏み乱らした足跡、車の\ruby{轍}{わだち}の跡が\ruby{狼藉}{ろうぜき}としている。
使い残りの小材木や\ruby{根太石}{ねだいし}も其その辺に積み重ねられている。
遠景、渋谷越の山峰は日暮れの逆光線に\ruby{黝}{くろ}ずんでいる。)

開幕。土地の信徒で工事手伝いの男女の一群上手よりどやどやと出て来て舞台の下手へ入る。
中の三四人、序に運んで来た材木切れをそこに置き、身体の埃を打ち叩き、着物をかい\ruby{繕}{つく}ろいなどしつつ作業を仕舞ったしこなし。

信徒一> や、これでまあ御影堂の仕事もすっかり終った。明日からは土塀の方の手が足らんちゅうから、あちらの手伝いに廻ったろかい
信徒二> そやそや。何でも手の足らん箇所を見付け次第、そこへかぶりついて是が非でも\ruby{此}{こ}の月末の親鸞さま御正忌会のお\ruby{迨夜}{たいや}までには美んごと\ruby{拵}{こしら}え上げにゃ、わてらの男が立たん
信徒三> わてらの男なぞどうでもええ。御門徒衆、一統の男さえ立てばええわい
信徒二> そりゃまあそうや。御門徒衆一統の男さえ立てばええ。わしもその中の一人やからな。だが、なんしい十年まえ大谷の御廟所を比叡山の大衆に焼き払われてから、大将株のお上人さまは加賀、越前と辺海の御苦労。悪う言えば田舎廻りや。それがようよう時節がめぐって来て、都近くの此の山科にお堂の再建。こりゃ門徒一同のずんと男が立つわけじゃ
信徒四> お堂が\ruby{斯}{こ}う立派に出来てみると、早く中身の親鸞さまの御影像もお迎え申し、据わるところに据わって頂かんことにゃ、何となく落付きが悪い。仏造って魂入れずと言うこともあるからなあ
信徒一> そりゃわいどもより、御先祖孝行のお上人さまの方がどのくらいそれを望んで居らりょうか知れん。それで十年前に北国へお立退きの際、お預けなされた三井寺の方へ此の間じゅうからさいさい掛合われなされたけれど、一向取戻しは\ruby{埒}{らち}明かんと言うことじゃ
信徒二> そりゃ初耳じゃ。どうして返さんのじゃろ。どだい、こっちゃのもんやないか。利息でも呉れと言うのか
信徒一> こまかいことは知らんが、何でもややこしい難題やそうな。それで御上人さまも\ruby{亦}{また}、おひと苦労じゃそうな。然しそんなことをおれ達がかれこれ気を\ruby{揉}{も}んでも始まらんこっちゃ。
ものは分け持ちや、おれ達は持分の\ruby{御|普請}{ご|ふしん}に精出すのが何より\ruby{阿弥陀}{あみだ}さまへの御奉公じゃ。おっとそう言うてる間に日が暮れて来た。さあ、もう\ruby{往}{い}のう\ruby{往}{い}のう、明日はまた朝早いぜ
信徒二> 御影像を返さんとはけしからん三井寺のやつじゃ。どないして返さんのや。あれはもともと……
信徒みなみな> まあええ、われが心配することは無い。往のう往のう

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(一同下手へ入る。花道よりおくみ、風呂敷包を抱え宿入り姿で出て来る。\ruby{屈托}{くったく}の様子。)
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おくみ> ああ、\ruby{焦}{じ}れる、焦れる。これではわたしの年に一度の奉公休みも台無しだ。
お上人さまにお目にかかりに行けば、お上人さまはおいでなされず。源兵衛さまも同じこと。
一日じゅう、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
なんと言う\ruby{験}{げん}の悪い日だろう。わたしゃもう\ruby{草臥}{くたび}れてしまった
(材木のところへ来て、その一つに腰かけ、膝へ頬杖突いて吐息つきながら思わず御影堂の棟を顧る。はっとして合掌。)


おくみ>「忘れまいぞえあのことを」「忘れまいぞえあのことを」(此の言葉を言うとき念仏の句調、以後同じ)
ああ、わたしとしたことが、また\ruby{瞋恚}{しんい}の\ruby{焔炎}{ほむら}に心を焼かれ\ruby{勿体}{もったい}ないお上人さまをお恨み申そうとしかけていた。
「忘れまいぞえあのことを」「忘れまいぞえあのことを」
お上人さまとて折角出来た此の御堂に、そりゃ常住いでなさり\ruby{度}{た}いのではあろうけれど、聴けばいろいろ御公事に\ruby{就}{つ}いての御奔走、それを欠いてまでわたし一人の為めにお待ちなさりょう筈もなし。
こりゃお留守なのが当り前だ。だが源兵衛さんはどうしても腹が癒えぬ。
わたしが今日こそ年一日の暇を取って、訪にょうとは\ruby{兼々}{かねがね}知らしてあるのに。家へ行けば母御ばかりがぼんやり。
奉公前によう逢うたあの追分けの松の根方に\ruby{佇}{たたず}んで待って見ても、それかと思うはまぼろしばかり。
ほんの姿は遂に来もせず、――それとも\ruby{若}{も}しや源兵衛さんに心変りでも、――ひょっとして若しそんなことにでもなっていたら、わたしゃどうしたらよかろうかしらん。
おや、またしてもわたしの取越苦労。「忘れまいぞえあのことを」「忘れまいぞえあのことを」何も時節因縁と諦めてしまえば、それで済むのだが。と言う口の下から、もう此の逢い度い心は、……ええ、も、いっそ、今日は、お上人さまにお目にかかるのはやめてしもうて、源兵衛さんに逢う一筋に骨を折ってみましょう。お上人さまはお師匠さんでも根は他人、源兵衛さんはわたしの夫。源兵衛さんに逢わずに往んでは、それこそ此の胸が焼け尽してしまうわ

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(おくみ、決心してすっくと立上る。いつの間にか蓮如上人弟子の竹原の幸子坊一人供につれ、上手奥より出て来て様子を見て居たが、おくみが立上る途端に上人は進み出て)
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蓮如> おくみ、そりゃわしより源兵衛に逢うて行くがよい。わしは汚ない年寄りじゃものなあ

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(おくみ、びっくりして、それが蓮如上人だと判ると、がばと突き伏す)
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おくみ> まあ、お上人さま。わたくしは恥しゅうて顔もあげられませぬ。お人の悪いお上人さま。立聴きなぞなされて

蓮如> は、は、は、は、まあ、そう恥しがらんでもよい。恋も因縁ずく。
勧めもせられん代りに\ruby{障}{さまた}げもせられん。ただ忘れてならぬのは六字の\ruby{名号}{みょうごう}じゃぞよ

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(おくみ、起上って合掌)
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おくみ> お慈悲は身に染みて身体が浮くようでございます。
\ruby{然}{しか}しその御名号が\ruby{唱}{とな}えられぬばっかりに、一度お上人さまにお目にかかってお教えを頂こうと存じましてお探し申して居りました

蓮如> ふむ、それは気の毒とも何ともはや、さては信心退転でもいたしたか

おくみ> 退転どころではござりませぬ。父母に死なれたたった一人の孤児。
お念仏は父母の\ruby{遺身}{かたみ}でもあればまた、わたくしの浮世の身の守りでもござります。
どうして唱えずに居られましょう。
それに、わたくしが引取られました奉公先の御主人は、大の念仏嫌い、南無と言うても、もう眼くじら立て、舌打ちなされます。身を退こうにも行先は無し。
御主様に育ての恩はあり、さればとてご唱名は欠かしたくなし、義理と法に板挟みの\ruby{揚句}{あげく}が、御念仏を唱えとうてなりませぬ時には「忘れまいぞやあのことを」「忘れまいぞやあのことを」かように申して阿弥陀さまへの申訳、自分の心への誓いにして居りまする。
あのことを、と申しますのは勿論信心のことでございます。然しそう唱えながらも斯ういう空言を申さねばならぬ身の因果、女の罪障、恐ろしゅう思われてなりませぬ。もうしお上人さま。こういう空言のようなものでも、お念仏の代りになりましょうか。仏さまのお救いには洩れませぬか。どうぞそれを教えて下さりませ

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(上人、しきりに涙を払いながら)
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蓮如> おお、念仏の代りになるとも、なるとも。おくみどの。
仏は知見を以って何事も、広く\ruby{知食}{しろしめ}すことなれば、そなたの念仏代りの言葉をも、とくと事情をお汲み取りなされ、念仏に通用さして下さるはもとより、只今\ruby{正定聚}{しょうじょうしゅ}の数に入り、極楽往生疑いなし。
女人と言えども\ruby{天晴}{あっぱれ}な御同行の一人じゃぞ

おくみ> それでは「忘れまいぞやあのことを」でも大事ございませぬか

蓮如> そなたに限って大事ない。安心して唱えやれ

おくみ> やれ有難や\ruby{忝}{かたじ}けなや。
此の上はどんな\ruby{辛}{つら}い奉公も、苦しい勤めも辛抱いたします。
〽忘れまいぞやあのことを。〽忘れまいぞやあのことを。〽忘れまいぞやあのことを。
何遍でも唱えさして頂きます(合掌して蓮如を拝む)

蓮如> (合掌して拝を受けながら) しかしおくみどの。「忘れまいぞやあのことを、」でも差支えない。差支えないが、
「忘れまいぞ、」と自分の力で自分のこころを\ruby{警}{いま}しむるところにまだ自力の\ruby{執}{しゅう}が残っておる。
これは、「忘れられぬぞあのことを、」と申す方が弥陀の方より与え給う信心を現すのみか、
本願を\ruby{悦}{よろこ}ぶ貌もあり、ずんと当流\ruby{易行}{いぎょう}の道に\ruby{適}{かな}うことである。\ruby{迚}{とて}ものことにそう唱えしゃっしゃれ

おくみ>「忘れられぬぞあのことを」でござりまするか。「忘れられぬぞあのことを」でござりまするか。
なんじゃ知らぬけれど、わたくしどもには一そ尊いように感じられます。
お上人さまの御証明を得たからには、もう安心いたしました。
では、これを\ruby{土産}{みやげ}に勇んで御主家へ戻ります。では御機嫌よう。お上人さま

蓮如> まあ待ちやれ、おくみ、そなた何ぞ、も一つ忘れたものはありはせんかの
おくみ> はて、忘れたものとは
蓮如> さあ忘れたものとは
おくみ> 何のことでございます
蓮如> そなたに取ってあの世の往生は定まった。然し此の世でいっち慕わしいお人に逢わんで往んでも大事ないか
おくみ> あれ、御慈悲の有難さに源兵衛さんのことは、いつの間にやら忘れていた。
だが思い出してみると、こりゃどうしても源兵衛さんに逢わなくては……
お上人さまも罪なお方でいらせられます (再び恥かし気な様子)

蓮如> 源兵衛はやがて御堂へ来る\ruby{手筈}{てはず}で、此の道を来ることになっている。
わしは僧侶のことじゃ。恋の手引きは出来ぬ。
しかし、ひとり手に此処へ通って来るものを強いて知らさずに置く必要もあるまい。
やがて来るわ。まあ、よいようにしなされ。わしはこれで\ruby{訣}{わか}れるとしよう

おくみ> 何から何まで御心くばり、有難うて涙がこぼれます
蓮如> では、まめに暮しなさい (蓮如行きかける。供の竹原の幸子坊後より続く。蓮如、幸子坊の持った\ruby{松明}{あかり}に目をつけ)

蓮如> これこれ幸子坊
幸子坊> はい
蓮如> 今夜は月明り、松明は要るまい。その辺に捨てなさい。序に火打袋も
幸子坊> \ruby{滅相}{めっそう}な。空も大分曇って参りました。闇に松明は離せませぬ
蓮如> いや、月明りじゃ。\ruby{蟻}{あり}の穴も数えられるばかりの月明りじゃ。松明は要らぬと申すに
幸子坊> でも
蓮如> (おくみの方を目配せつつ) 幸子坊、師の命を\ruby{背}{そむ}かるるか。えい、松明は捨ていと申すに
幸子坊> (漸く意味がのみ込めて) は、は、は、\ruby{成程}{なるほど}月明りでござった。これは飛んだ失礼、では捨てまするでござりまする

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(幸子坊、おくみの方へ松明と火打袋を投げやる。おくみ感謝の涙に暮れる)
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幸子坊> さあ、これでようございます。(空を仰ぎながら) こりゃとても明るい月明り、お上人さま足元をお気を附け遊ばしませ
蓮如> 幸子坊が何のてんごうを申すことやら、………然し此の世の中は辛いところだ。おくみにはおくみの苦労、わしにはわしの苦労がある。
三界無安、\ruby{猶如火宅}{ゆうにょかたく}、ただ念仏のみ超世の術じゃ。さあ行こう
(涙を押える)
幸子坊> 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
蓮如> さあ参ろう

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(おくみ、後姿を見送り合掌、幕)
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